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TOKYO CAREER GUIDE 東京で働こう。

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OUR VOICE 東京で働く体験談

Mimat Ritthirak リティラック ミーマート(status)

Mimat Ritthirak リティラック ミーマート

MY TOKYO STORY

  • 4

    両親の仕事の事情で、初めて日本に来る。読み・書き・話すを最初に覚えたのは母国のタイ語ではなく、日本語でした。
    幼稚園から小学校2年まで日本の小学校。日本人に囲まれ、幼少期を過ごしました。
  • 9

    大阪のインターナショナルスクールに通い始め、公立の小学校とは違い、参加型の授業が多く、積極的に授業に取り組む姿勢の大切さを学びました。
  • 11

    母国タイに帰国。小学校高学年から高校までタイで過ごしました。
    高校では、バレーボール部に所属し、キャプテンとして活躍しました。
  • 18

    大学と就職を目指し、アメリカに留学。大学の授業を通し、積極性とチームワークを学びました。
    大学を卒業し、アメリカのグラフィックデザイン会社で働きました。
  • 23

    アメリカで出会った芸術家からのアドバイスで、再度日本へ来ました。
    日本語学校や、デザイン学校でスキルを高め、デザイン会社で3年半働きました。
  • 27

    現在の会社に入社。夢だったパッケージ・デザイナーとして、大手企業の商品のデザインなど、やりがいがある仕事をしています。

メッセージ

恐れず、挑戦を楽しもう!

Mimat Ritthirakからのメッセージ

変化を恐れず、まずは東京に足を運んでみて下さい。具体的に行動する事で、見える世界が大きく変わります。東京の生活を通し、タイではできない、チャレンジャブルな経験を沢山積むことができます。特に、日本のルールやマナーを学ぶことは、初めは戸惑うこともあるかも知れませんが、非常に重要であり、人生に大きなインパクトを与えてくれます。スキルアップもさることながら、厳しい環境から逃げないで挑戦することで、計り知れない自己成長につながると思います。

東京で、パッケージ・デザイナーとして挑戦の日々です。

Mimat Ritthirakの仕事内容

グラフィック・パッケージ・デザインを担当しています。デザイナーの仕事では、お客様とのコミュニケーションが欠かせません。提案の際のプレゼンテーションから始まり、デザインの方向性についてディスカッション、提案内容のブラッシュアップ、お客様への再提案等、長きに渡るお客様とのお付き合いにより、1つのパッケージデザインが出来上がります。単なるデザインスキルのみにとどまらず、コミュニケーション力など、幅広い能力が必要とされる仕事です。仕事で心がけていることは、お客様に完璧と言って頂けるデザインを作り上げること。お客様が誇る製品、企業イメージを最大限に活かし、最高のブランディングを実現することが仕事を進める上でのやりがいです。大手企業の商品のパッケージデザインを担当するなど、やりがいのある案件に関わりながら、責任感と情熱を持って仕事に励んでいます。

東京での挑戦は、私にとって夢に向かって進む道です。

Mimat Ritthirakの東京で働く魅力

東京では、多様な背景の方々と関わり合い、成長と気づきの毎日を過ごしています。東京は、日々目まぐるしく変化し、何事にも貪欲でいる事で、一層の成長が実感できます。多彩な経験を持つ方々と切磋琢磨し、将来の目標に向けて頑張る毎日です。デザイナーとしてのキャリアも大切ですが、幼い頃に学んだ日本人のマインドも意識しています。自分への厳しさと周囲への思いやりを両立させることで、自分ひとりだけではなく、お客様や友人、家族のことも幸せにできます。私の夢は、東京でのデザイナー経験を活かし、母国タイでデザイン会社を立ち上げることです。今のタイには、自国発のパッケージデザイン会社がないため、東京で培った経験や日本、タイ双方のセンスを発揮し、デザインビジネスにいつか挑戦できることを楽しみにしています。

日本での生活とニューヨークでの芸術家との出会いが私の人生を変えました。

Mimat Ritthirakの東京で働くまでの経緯

小さい頃を大阪で過ごし、日本の文化や生活には、もともと馴染みがありました。日本語は、タイ語以上に得意な言語です。低学年の頃は、日本の小学校で学び、日本人の友達に囲まれて過ごしました。日本人の習慣で良い所は、小さい頃から自己管理を意識し、大切にすることです。特に、時間に対するシビアな姿勢は、日本の集団生活で学んだ大切な習慣だと思います。11歳でタイに戻り、大学進学でアメリカに留学したため、20歳を過ぎるまで、日本を離れました。ただ、日本で学んだ意識や習慣を忘れることはありませんでした。そんな中で、日本での再出発に対する強い憧れを抱くようになり、いつかまた日本で挑戦したいと言う意識が芽生え始めました。最大の転機は、ニューヨークのアートイベントで知り合った、芸術家との出会いでした。アメリカ人の方でしたが、非常に親しみの持てる人物で、私の将来の話題になった際、「プロのパッケージデザイナーになりたい」と言う純粋な想いをぶつけました。その際に頂いたアドバイスでは、世界で最もパッケージデザインに優れた技術を持つ日本で、デザイナーとしての道を切り開くことを勧められました。幼い頃から馴染みの深かった日本と、意外な形で縁ができたことに、不思議な感動を覚えました。特に東京は、海外や日本中からの精鋭が集まる場所。日々の刺激と目まぐるしさの中、自分を高めることができています。

優しさと温かさに触れ合う街、東京。

Mimat Ritthirakの東京で暮らす魅力

東京は自分の個性を発揮し、夢を実現するチャンスがある場所だと思います。日本とタイ、2つの母国を持つ私にとっては、双方で学んだ個性を大切にしたい想いがあります。東京の人々は、そんな私の個性を尊重して下さり、のびのびと過ごすことができています。東京では、自分の趣味で参加しているイベントやサークルが沢山あり、仕事が休みの際も、共通の趣味を持った仲間と思う存分羽を伸ばすことができます。特に、私は下町めぐりや登山が大好きで、そこで触れ合う方々が非常に温かいです。下町の喫茶店に立ち寄った際、店主のご夫婦と大変仲良くなりました。お菓子をサービスして下さったり、沢山のお話ができたりと、家族のような親しみを覚えました。今でも時たま、その店に立ち寄りますが、しっかり私のことを覚えて下さっています。趣味の登山をした際も、日本の山では挨拶をする文化があるため、すれ違う人たちが声をかけて下さり、初対面を感じさせない優しさと親切さを感じました。飲み物やお菓子をご馳走下さり、東京にも大切な家族がいる感覚を覚えました。そんな東京の方々に対し、私は仕事であるパッケージデザインを通して、感動を与えていきたいと思います。周囲を思いやり、尊敬する気持ちを教えてくれた東京に対し、次は私が恩返しする番だと感じています。

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